Why we should talk more about death
By Prof Mayur Lakhani (chair; Dying Matters
Coalition)
私たちが死についてもっと話し合うべきだ、という理由は?
今週のコラムでは、死を考える講座を受け持つマイヤー・ラッカー教授が勧める、患者やその家族の終末医療に対する準備における、医師による率直かつひらけた対応についてを取り扱う。
多くの人に診断名がつかず、有効な治療も与えられないままに原因も究明されずに繰り返す、このような状況を想像してみてください。
この病気は何だと思いますか? そう、終末期です。
毎年、英国では推定9万2000人が、終末医療を必要とするも得られずにいるとされる。
しばしば彼らは死の前に家族などに会う機会も与えられず、状態の悪化で入院を繰り返すにも関わらず、状態の深刻性をも知らされない。
これら多くの患者は死去するリスクにある事を認知されず、終末医療の処置を受けない。
「母親の死期が近い事を、医者が教えてくれていれば良かったのに」関係者の一人の言葉に、私ははっとさせられた。
「遅すぎる」
死を考える講座の新しいComRes研究では、死を迎える事や死について話す事への引け目が幅広くあると確認している。
私たちが、多くの人に死を迎える事や死別についてもっと気楽に話し、終末医療などについて計画を立てる事を勧める理由はここにある。
ほとんどの人は、重篤な病気における選択肢や望みなどの計画を立てたりはしていない。
「その時」が来るまでにまだ沢山時間があると考えがちだが、その通りには行かずに遅すぎる事も良くあるのだ。
医師は治療回復のための訓練を受けるが、長期病養生活を送る人もいる中、医療従事者は死期を迎える患者に対して有効な方法へと変換する必要がある。
私たちは、人々の死を、病院・介護施設やホスピスなどから、各家庭へと戻す必要がある。
認知症の発症や進行を抱えて生活をする人が増えるなか、人々が健康なうちに終末医療処置の選択肢について医師から話をする事が極めて重要だ。
私たちの文化にとって大きな変化となり、それは医療従事者から始まるのである。
カナダ コミュニケーション専門家のスティーブン・ウォークマン教授から学んだ多くの事を踏まえ、私は医師に3つの事を提案する。
はじめに、死ぬことについて話す時は、率直かつ思いやりを持つ事である。
医師が懸念する重篤患者の妻に話をする際、ただ「あなたのご主人の病状は深刻です」と言うのではなく、「ご主人がお亡くなりになる可能性があります」と付け加えるべきである。この事により心の準備が生まれるのだ。
二つ目は、正直になり、誤った希望を与えない事である。
危篤な状態にあり、回復の見込みもわずかである方にCRD(心肺機能蘇生)処置を行う際など、誤った選択を与えてはいないかと、再度考える事である。
患者が快適で自然の尊厳死を迎えられるような、補助的ケアを勧める事だ。
3つ目にあげる事は、医師が重篤な病気を診断する際、患者がこれからの見通しや自身に起こり得る事について話し合いを希望するかどうかを聞くべきである、という事である。
ほとんどの人が高齢で衰弱することにより死去する事は、福祉サービスの認知するところだ。
重要なのは、この事によって終生の際に希望する事や、より高度なケアの計画について話し合う機会を与えられる事である。
私の希望は、死ぬ事に対する恐怖を軽減させ、緩和ケアについての知識と認知度を高める事である。
極めて重要なことは、死期の近づく方一人一人に踏み込んだケアの計画が補助されるよう、早いうちに認知される事である。
手術や病棟周りの熱狂の中で、このような事を働きかけるという事がどれだけ困難な事であるか認識している。
しかし、我々医師は、立ち向かって行く必要がある。
我々は皆、特に医師は、全ての人が良い死期を迎えられるようにする仕事の一部を担う事ができるのである。